HIRANO VALMOBILE レストア計画 第一章

以下は2007年5月頃に公開したPrivateSoulBox内の記事を移植したものです。

 

第一章 バル・モビルについて。

HIRANO Valmobile type PSA


– はじめに –
文中にある『バルモビル』『バル・モビル』『バルモービル』『バルモビール』などの表記の違いは 当時のメーカーカタログやプレス発表などにおいても統一されて居なかったようで、ここではあえて どれが正解かという事には触れないでおきたいと思っています。
これらも踏まえ、表記にゆらぎがある点ご容赦願います。

 

バルモビル その存在を知ったのは、今から5~6年前くらいだっただろうか。

何気なく面白いバイクネタを探してwebを徘徊して居た時、一台のケッタイなバイクが目に飛び込んできた。
その形は、長方形の 箱の先に三輪車のフロント部分をくっつけたようなもので、箱の下から後輪がちょこんと顔を出し、その箱の上にある手製の座布団 のようなシートに座って運転するというものだった。最初、これを見たときは、誰かが面白半分でスクーターを改造したものをwebで 公開しているのかと思ったのだが、よくよく読んでみるとそうではないらしい事がわかった。


What’s HIRANO ?

今から遡ること、約40年前。名古屋に平野製作所という二輪車メーカーがあった。平野製作所は大正時代に創業された歴史ある機 械メーカーで、主に織機などを製作していたらしいのだが、モータリゼーションの到来と共に、オート三輪やスクーターの製造を行 なうようになっていった。当時の代表的なスクーターはポップマンリーという名称でかなりの数が売れたらしい。競合する富士産業 のラビットや三菱のシルバーピジョンとの熾烈な販売競争が続いたのち、ダイハツミゼットなどの軽三輪に押されスクーターの国内 需要は減少、各スクーターメーカーは海外需要へと眼を向けたのである。

当時の日本はまだ欧米に比べると機械工作技術が劣っていると思われていたようだが、このスクーターの輸出合戦で日本製のスク ーターが安価で優れているという認識を持たれるようになると、そこに目をつけたバイヤーがOEMでのスクーター製造を持ちかけた。 安い人件費でOEM生産を行いたいと思うのは、どの時代も一緒だろう。バイヤーは当時ヨーロッパで開発され、それなりの人気があっ たバルモビルをアメリカ市場に持ち込むべく平野製作所に打診する。この時、平野製作所はスクーターの販売不振にあえいでいた事 から、これを受け入れ、かくしてヒラノ・バルモビルが誕生した。しかし、当時のアメリカ市場で、このバルモビルは受け入れられ なかった。他の日本製スクーターと同一価格帯でありながら、馬力・速度・航続距離共に劣るバルモビルには、あえてソレを選ぶ必 要を感じられなかったのかも知れない。また、バルモビルの売りであるコンパクトさも、アメリカ市場では優位に立てるほどの特長 には至らなかったようだ。結果として、このバルモビルの失敗が最終的な引き金となり、平野製作所はその歴史に幕を下ろす事とな った。ちなみに、他の国内スクーターメーカーはどうしたかというと・・・。ご存知の通り、シルバーピジョンの三菱は、三菱ふそ うとなり現在に至りまた、富士産業は後の富士重工業(現スバル)である。そうそう、ついでだが、富士産業は中島飛行機からの流 れを汲み、GHQにより数社に解体された企業の一つだが、同じ流れの中にプリンス自動車(後に日産と合併し日産プリンスとなる) もあった。残念ながら力負けの感は否めない。


再びバルモビル

さて、バルモビル本体の話に戻ろう。バルモビルとの出会いは前述の通りだが、何がそんなに魅力的だったのか?まず、一つはそ のコンセプトだろう。バルモビルのVALはValise(かばん)を意味する。つまり、かばん型モービルなのである。今まで触れては居 なかったが、このバルモビルのフロント部分は取り外す事ができ、フロントのフレーム・タイヤ・ステアリングを全て後方の四角い 箱部分(本体)に収納できるのである。残念ながら、写真撮影時には各部のサビや劣化が激しく、収納する事を躊躇ったため写真は 無いのだが、この収納された姿がまたカワイイのである。(笑)そして次に潔さだろうか?2リッターしか入らないガソリンタンク や猫車と共通サイズのタイヤとリアのみに割り切ったブレーキ、そのくせライトやテールランプ、クラクションまで付いている。
(当初は輸出国の法規に則っていたため、ウインカーやスピードメーターは無し、後に国内販売用として製造されたものに関しては、 国内法に則りスピードメーターとミラーが追加された。)
そして、なんと言ってもその発想を形にした努力と技術だろう。ルーツは 1950年頃のフランスらしいのだが、この頃既にほぼ現在の形になっていたようだ。今から遡る事60年ほど前の話である。こんな時代 に、こんな夢のような、はたまたおもちゃのようなそれでいて、決して安くは無いはずのモノを商品化したしたという事実。これこ そ、現代では難しくなっている「いいと思ったものは作る」的精神の真骨頂のような気がしたのだ。また、単に作ればいいというだ けではなかったという点も素晴らしい。決してスマートとは言えないが、その収納機能は良く考えられており、また、走りに関して も(ゴム製ではあるが)リアサスペンションまで付いている!(笑)『真剣に、心血注いで馬鹿をやる』的精神が、自分の中にある 同じ志と共鳴したと言うのは、カッコつけすぎかな?(笑)

かくして、バルモビルとの出会いから瞬時に恋が芽生えた(要は、一目ぼれってヤツ)訳だが、だからといってすぐに手元に置き たいと思った訳ではなかった。『お、カワイイな。』と思ったアイドルと一緒で、『興味はあるんだけど別の世界』的な空気を感じ ていたのは事実。その後も、ちょくちょくwebで情報収集してみたりしたのだが、あまりヒットしない。『世の中では、そんなに魅力 的じゃないのだろうか?』と自分の感性を若干疑いつつ、月日は流れ、バルモビルの存在は、そのうち次第に頭から薄れていったの だった。

それから数年、『何か弄りたい病』が発症し、悶々とした日々を送っていたある時、偶然にもヤフオクで再びバルモビルと出会う 事となった。それが、冒頭の写真にあるバルモビルである。正直なところ、それ以前にも何回かヤフオクでバルモビルを見たことは あった。その都度入札を行なっていたのだが、自分の中での価値よりもかなり高額な金額が付けられた事と、『何か弄りたい病』が まだ軽症だったため落札には至っていなかった。今回入手できたバルモビルは、正直なところそれまで出品されていたモノよりは 程度が良くなかった。ハンドルのメッキはグサグサに錆び、シートはパキパキに硬化していたし、鍵も紛失していた。また、塗装の 感じもヤレが見られ、ハンドル同様フレームにもサビが出ていた。これらは出品時に掲載されたコメントや写真で確認する事が出来 たし、旧オーナーに問い合わせ確認していた。しかし、自分にとって何より惹かれた事があった。それは、『ノンレストア』とい うくだりであった。つまり、錆びているけど手を加えていないオリジナルという事である。また、あくまで旧オーナーの私見である が、機関は調子よさそうだと言う事も大きなポイントとなった。これまでに見たバルモビルはオリジナルのものは高額になっていた し、そこそこ手ごろな値段で落札されているものは、再生品(レストア済み)のものだった。どうしてもオリジナルが欲しかった自 分としては、入札に迷いは無かった。

そして、幾多の兵の入札を切り抜けて落札・・・となると物語的には面白いのだが、じつは、自分が入札した最初の価格で落札され てしまったのである。ま、自分としてはかなりラッキーって事に間違いないんだけど、過去の例を見ると「俺って、間違ってる?」 などとちょっと弱気になるような展開でもある。じつは、見る人が見たら、『あんなもん、1円の価値もねぇ状態じゃん』ってのを落 札しちゃったんじゃないだろうか?などと期待と不安が交錯する中、バルモビルは我がガレージに運ばれてきたのだった。

※文中の表記(特に歴史等)は執筆者の調査と主観による部分が大きいので、間違い等が有る場合は教えていただけると助かります。<(_ _)>

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